「まんぷく」ヒロインの夫、立花萬平のモデルは安藤百福!

こんにちは!はらぺこパンダです!

2018年度後期の連続テレビ小説「まんぷく」は世界で初めてインスタントラーメンを生み出した夫婦の物語です。

ヒロインの夫は長谷川博己が演じますが、そのモデルとなっている安藤百福という人物についてカップヌードルミュージアム(安藤百福発明記念館)で詳しく調べてきました。

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安藤百福記念館カップヌードルミュージアム横浜に行って来た!

安藤百福ヒストリーの映画を見たり、カップヌードル作りもできます!

安藤百福の名言集

安藤百福は、あふれる好奇心と創造的思考で誰も考えつかなかった大胆なアイデアを次々実現しました。

安藤百福のクリエイティブな発想は6つのキーワードから生まれました。

  • まだ無いものを見つける
  • なんでもヒントにする
  • アイデアを育てる
  • タテ・ヨコ・ナナメから見る
  • 常識にとらわれない
  • あきらめない

安藤百福は、幼い頃、両親を亡くし、20代初めから色々な事業を手がけてきました。

どの事業にも、他の人には考えつかないようなアイデアがいっぱい。

時代の流れをいち早くキャッチし、すぐ事業家するベンチャー精神と失敗してもあきらめないバイタリティーにあふれた人です。

百福の考え方は

  • 世の中にはまだ無いけれど「あったらいいな」というものを探す
  • アイデアのヒントは身のまわりに転がっている
  • 発明はひとりじめせず、みんなに使ってもらう
  • 色々な視点を発見する
  • 生活の中でアタリマエだと思っていることを疑う
  • 一度や二度の失敗にもくじけない

1957年、安藤百福は事業に失敗して、すべての財産を失います。残ったのは大阪府池田市の借家だけでした。

その時闇市のラーメン屋台に並んだ人々の姿と、日本人がめん類好きなことを思い出します。

「そうだ、ラーメンを作ろう!それもお湯があれば家庭ですぐ食べられるラーメンを!」

無一文の生活から這い上がるため、安藤百福は新な勇気をふるい起して、長い間あたためてきたアイデアの実現へ向けて第一歩を踏み出しました。

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安藤百福は、いかにインスタントラーメンを作るのに苦労したか

1957年、安藤百福は自宅の裏庭に建てた小屋で、たった一人、お湯があれば家庭ですぐ食べられるラーメンの研究を始めました。

道具や材料はすべて自分で探し集め、自転車の荷台にくくりつけては小屋に運び込み、1日平均4時間という短い睡眠時間で丸1年間、1日の休みもなく研究を続けました。

まさに死にものぐるいの日々でした。

安藤百福はお湯があれば家庭ですぐ食べられるラーメンを作るため、最初に5つの目標を決めて、その実現に向かって努力を重ねました。

  • おいしくて飽きがこない味にする
  • 家庭の台所に常備できる、保存性のあるものにする
  • 調理に手間がかからないようにする
  • 値段を安くする
  • 安全で衛生的なものにする

めん作りについてはまったくの素人だった安藤百福は、すべてが手探り、水、塩をはじめ、つなぎの材料や、旨味と栄養をつける材料を思いつく限り配合し、山のような試作品を作っては捨てる毎日でした。

気の遠くなる作業をくり返し、ようやく理想的な配合にたどり着いた安藤百福。

「食品とはバランスだ。食品の開発はたった1つしかない絶妙なバランスを発見するまで、これでもかこれでもかと追及する作業である」と悟りました。

長期保存するには、めんをどうやって乾燥させればよいのか。

またお湯を注いですぐ食べられるようにするには、どうすればよいのか。

この保存性と簡便性の実現こそが、インスタントラーメンの開発における最も高い壁でした。

ある日、台所へ行くと、夕食の準備のため、妻がてんぷらを揚げていました。

てんぷら鍋に目をやると、熱い油の中に入れられた小麦粉衣は、たちまち泡を立てながら水分をはじき出しました。

「これだっ!」安藤百福の目の前がパッと明るくなりました。

インスタントラーメンの基本となる製造技術瞬間油熱乾燥法のヒントを発見した瞬間でした。

瞬間油熱乾燥法と湯もどりのしくみ

  • 蒸してからチキンスープで味つけしためんには、水分がたくさん含まれている。
  • 油で揚げると、めんに含まれている水分が一気に、はじけ飛ぶ。
  • 水分ののぬけためんの断面には、小さな穴がたくさんできている。
  • 油で揚げためんにお湯をかける。
  • 小さな穴にお湯がしみこんで、めんが柔らかくもどり、同時にスープがしみ出し、ラーメンが出来上がる。

安藤百福のエピソード集

手ごたえをつかんだ試食販売

チキンラーメンの試作品作りは、家族総出の作業になりました。段ボールに詰めるまで、一連の工程をすべて手作業でこなすため、家の中はまるで戦場のようになりました。

こうしてでき上ったチキンラーメンに対する消費者の反応を直接確かめるため、大阪、梅田の阪急百貨店で試食販売を実施。

どんぶりに乾燥したチキンラーメンを入れ、お湯を注いでフタをすると、たった2分(現在は3分)で柔らかいラーメンに。

それを見ていた買い物客はビックリ!集まってきた主婦が次々に試食しては買っていき、用意した500食はアッという間に売り切れてしましました。

問屋を動かした消費者の声

当時、チキンラーメンの価格は1袋35円。うどん玉ひとつが6円の時代に、これでは商売にならないと、問屋の主人たちは仕入れを渋りました。

けれどチキンラーメンを実際に食べた人々の「おいしい」「便利だ」という声は日に日に高まり、やがてその声は小売店にまで届きました。

そうなると問屋にもチキンラーメンの注文が殺到。

ついには、問屋のトラックが工場前で列をなして製品のできあがりを待つほどの大ヒットになりました。

最初から目標は世界食

世界初のインスタントラーメン(チキンラーメン)が初めてアメリカに出荷されたのは、国内での正式発売よりも前のことでした。

安藤百福は最初から、インスタントラーメンが世界的な食品になるかもしれないと予感していたのです。

チキンラーメンを世界に広めようと考えた安藤百福が、市場視察のためにアメリカに出かけた時のことです。

現地で訪れたスーパーの担当者たちは、チキンラーメンを小さく割って紙コップに入れ、お湯を注ぎフォークで食べ始めました。

これを見た安藤百福は、ハッと気づきました。アメリカには、どんぶりも箸もないのだ!

インスタントラーメンを世界食にするためのカギは食習慣の違いにあったのです。

そしてこの体験は、カップヌードルの発明に至る大きなヒントとなりました。

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安藤百福カップヌードルの発明

カップに入ったインスタントラーメンは、アイデアそのものが初めてだっただけに、ひとつひとつの開発がチャレンジの連続。

安藤百福は次々に立ちはだかる難問をいろいろな角度から考え、実験をくり返し、解決していきました。

カップヌードルには、それまで誰も考えつかなかったアイデアや技術が、いっぱいつまっています。

カップヌードルの工夫とは?

  • パッケージ+調理機+食器、3つの機能をもつ新発想のカップ。
  • めんのカタマリの中までじっくり揚がっている。
  • マカデミアナッツでひらめいた高機能なフタ。
  • カップの中でめんを宙吊りにするアイデア。
  • めんをカップにまっすぐ入れるテクニック。
  • 長時間保存できる具はフリーズドライ製法にした。
  • 容器の気密性を高めるシュリンク包装を採用した。

安藤百福宇宙食ラーメンの発明

安藤百福が宇宙食の開発を宣言したのは91歳の時です。

プロジェクトチームを結成して自ら陣頭指揮をとり、酒井初の宇宙食ラーメン「スペース・ラム」の開発に成功しました。

人類として初めて宇宙空間でインスタントラーメンを食べた野口聡一宇宙飛行士は、国際宇宙ステーションからの中継で「地球で食べるインスタントラーメンの味がびっくりするぐらい再現されていた」と報告しています。

宇宙食ラーメンの工夫とは?

  • めんの乾燥は瞬間油熱乾燥法
  • 無重力でもスープが飛び散らないようにとろみをつけ、めんのまわりも卵白でコーティング
  • 地上より気圧が低いので、お湯が100度にならないので、70~80度のお湯で戻るような特別配合のめん
  • 宇宙空間では、味や香りを感じにくくなるので濃厚でスパイシーな味にした

私が感銘を受けた安藤百福名言・安藤百福語録

安藤百福は前の章でまとめたように名言をいくつも残しています。

私が今回百福ヒストリーを調べて追っておく中でさらに感銘を受けた言葉をいくつか拾っていきたいと思います。

「どんなに優れた思いつきでも時代が求めていなければ、人の役に立つことはできない」

食糧難の頃、大阪の闇市を通りかかった百福が1杯のラーメンを食べるために並ぶ人々を見て、やっぱり食が大事、この行列に大きな需要がかくされていると気づいたところがすごいと思います。

「私はラーメンを売っているのではない、お客さまに時間を提供しているのである」

チキンラーメンが発明された頃は、共働きや核家族が増え始め主婦が忙しくなって家事にさける時間が少なくなり始めた時代。

お湯を注ぐだけ、長期保存ができるインスタントラーメンは、画期的だったと思います。

「知識よりも知恵を出せ」

既存の考えにとらわれがちですが、めんをカップに入れるのではなく、置いてある麺にカップをかぶせるという逆転の発想。

カップの中でめんが宙吊りということも今回初めて知りました。

カップめんのフタを開けて上から見ているだけでは気づきませんでした。

こうすることでめんがカスガイの役目をしてカップの強度も高まります。

めんの下にもお湯がまわってめんが均一に戻ります。

その他にも百福のアイデア、発想はとどまることを知りません。

こういうところが尊敬出来ます。私に欠けている部分なので勉強になります。

「人生に遅すぎるということはない」

もう年だからという発言は私も嫌いなのです。人間一生勉強だし、ここで満足だと思ったら成長は止まってしまうので。

でもなかなか実現は難しい。安藤百福は90歳を超えても新しい夢に挑戦しました。

私もそういう精神は常に持っていたいと改めて感じました。

まとめ

安藤百福は96歳で亡くなるまで、生涯現役を貫き通しました。

チキンラーメンを発明した時がすでに48歳になっていましたし、カップヌードルの発明が61歳、宇宙食であるスペース・ラムの発明は実に95歳の時でした。

この方の生涯がドラマになるということで、とても楽しみです。

また実際にチキンラーメンやカップヌードル作りの体験ができるカップヌードルミュージアムが大阪と横浜にありますので、そちらの方もぜひ行って体験してみて下さい。

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